ヨーク大学日本語科三学年読解教材 AP/JP3000
6.0 第六課 「力の世
界」 大阪でトラックの運転手を始めてから、三ヶ月ほど経ったある日、仲間の運転手と仕事がいっしょになったことがあった。初めの三ヶ月は西も東も分からなかったので生っ粋の大阪っ子で、事故で片腕を無くした「木村はん」が助手として毎日教えてくれ、やっと見習い期間が終わったころであった。相手の運転手は元木さんと言った。どこかの店に配送したら、二階だか三階だかの倉庫に積み荷を運ぶよう言われたので、二人で、パッキン、大阪ではダンボールと言わずにパッキンと言う、一箱二十キロぐらいのを三つぐらい抱えて階段を上り下りしたのである。まだ若かったし、張り切っていたので、粋がっていたのだと思うが、ひょうきんものの元木さんが、車庫に帰ってから、他の運転手に、尾鰭をつけて、こちらのことを話すのである。「太田はすごいぜ、八十キロぐらいのを平気で三階まで担ぎ上げるんだから。」などとまことしやかに話したのである。ここで一言付け加えておくと、他の運転手は皆筋骨隆々で、一番年上でも三十代である。自分のような青白き学生の住む世界ではなかったのである。もちろん、夏休みに東京でもトラックの運転手をしていたので、筋骨隆々というには程遠かったが、体力はついていたと思う。誰が言い出したか、覚えていないが、「それじゃあ、腕相撲をやろう。」ということになって、私もおだてられた手前、後に引けなくなって、一人一人と対戦する仕儀となった。ところが、あっと驚く何とかで、一人とは引き分けたが、後の全員、全部で十人ぐらいいたと思うが、に勝ってしまったのである。こちらも驚いたが、彼らも驚いたようで、それ以後、一人前の同僚として扱ってくれるようになった。それまでは、積み荷を持って帰って来た時などは、皆で手伝ってくれたりはしていたが、まだ仲間に入れてもらえていなかったのが、次の日からは、対等の扱いをしてくれるだけでなく、尊敬してもくれているように感じた。私は、細い割に、と言うか、意外と細いのが腕相撲に強いのであるが、結構腕相撲には自信があったが、こんなに勝つとは思っても見なかったので、きつねにつままれたような気もしたし、ひょっとすると皆わざと負けてくれたのかなあとも思ったりしたが、ここは額面通りに受け止めることにした。 それ以後、東京に帰るまで、仲間の運転手は、何か問題があるとかばってくれたり、手伝ってくれたりで、本当に、仲間意識の有り難味を知った。そして、まだ力の世界があるのだなという実感を強くしたものである。二十二かそこらだったと思うが、一人前の運転手気分で長距離運送をしている自分を思い出すと、こそばゆい気持ちと、懐かしさがごっちゃ混ぜになる。仲間の運転手さん、本当に有り難うと言いたい。 1997年5月29日 トロントにて
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