次の文章を読んで下記の内容が正しいか正しくないか判断しなさい。Read the following paragraph and judge the descriptions True or False.
以前は「知識は力なり」だったのが、最近は「コンピューターは力なり」といってもよいほどコンピューターの役割が増してきたように思う。コンピューターに関して知っているか知らないかによって、仕事の種類、量、また交際・活動範囲がまったく違ってくるというのが現状である。画期的な理論や技術の場合たいてい同じであるが、コンピューターの場合は特にその衝撃(しょうげき)の大きさと広さには計り知れないものがある。大学を例にとってみても、コンピューターをアカデミアにとって最大の脅威(きょうい)ととるか、救世主ととるかで、対応の仕方に雲泥(うんでい)の差が見られる。コンピューター化に反対する人たちは、それが「非人間的」だととらえ、賛成する人たちは、その効用を徹底的(てっていてき)に利用しようとする。確かにコンピューターに振(ふ)り回されているきらいもないではないし、コンピューターのおかげで効率よく仕事ができるために、もっと仕事の量が増えたという点も否(いな)めない。それだけでなく、コンピューターは、インターネットに代表されるような異なった種類の仕事も作り出した。電子メールの発達で確かに情報交換と交信の量と速度が急激に増したが、一日何十というメッセージを読みそれに対応するというのはかなり時間がかかり、職場でだけでなく、自宅でもアクセス可能なために、待った無しにメッセージを開くことが常に要求される。ソフトウエアーを見ても、日進月歩で飛躍的に改良が進み、複雑になり、素人にとっては、ワードプロセシングを学ぶことだけでも大変な仕事になっている。私は、十年以上前からコンピューターを使っているが、そのころと比べて、もし自分が今からコンピューターを使い始めるとしたらどうだろうと考えると、コンピューター恐怖症(きょうふしょう)にかかっている人たちをあながち責められない。十年以上の経験があって初めて、一応現在のコンピューターがこなせるのである。こなせるといっても、コンピューターの持っている可能性の十分の一も活用していないかもしれない。しかし、ここであきらめるわけにはいかない。好むと好まざるとに関わらず、コンピューター化はどんどん進み、どこかで始めなければ、完全に取り残されてしまう。もちろん、ここに選択(せんたく)の余地がある。ある人はコンピューターを拒絶(きょぜつ)するだろう。しかし、二十一世紀を展望してみると、コンピューターが我々の社会の中心になっていくことは誰も否定できない現実である。特に教育の分野を考えてみると、我々はそういう社会で活躍する若い世代を作り上げていく役割をになっている。大学は常に流動する社会に対する鋭(するど)い批評家(ひひょうか)でなければならないが、それとともに、変化に対しての柔軟性(じゅうなんせい)も要求される。大学人がいつまでも旧態依然(きゅうたいいぜん)とした「象牙(ぞうげ)の塔(とう)」にこもって、アカデミアの現状維持(げんじょういじ)を図ろうとするならば、どうして新しい時代に適応できる若い頭脳(ずのう)を創造(そうぞう)していくことができるか。
1.コンピューターの発達で、仕事の面でも人との付き合いでも私たちの生活に大きな変化が起きている。