徒然草(つれづれぐさ)()

吉田兼好(よしだけんこう)

つれづれ草 上

 

序段

つれづれなるままに、日ぐらしすずりにむかひて、心にうつりゆくよしなしごとを、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ。

 

                    第一段

いでや、この世にうまれては、願はしかるべきことこそ多かめれ。

みかどの()位は、いともかしこし。竹の園生(そのふ)末葉(すゑば)まで、人間の(たね)ならぬぞやんごとなき。(いち)の人の()有様(ありさま)はさらなり、ただ(うど)も、舎人(とねり)など(たま)はるきはは、ゆゆしと見ゆ。その子うまごまでは、はふれにたれど、なほなまめかし。それより(しも)つかたは、(ほど)につけつつ、時にあひ、したり顔なるも、みづからはいみじと思ふらめど、いとくちおし。

法師(ほふし)ばかり(うらや)ましからぬものはあらじ。「人には木のはしのやうに思はるるよ」と清少納言が書けるも、げにさることぞかし。(いきほ)(まう)にののしりたるにつけて、いみじとは見えず。増賀(ぞうが)ひじりのいひけむやうに、名聞(みゃうもん)ぐるしく、(ほとけ)()おしへにたがふらむとぞおぼゆる。ひたぶるの世捨(よす)て人は、なかなかあらまほしきかたもありなむ。

人は、かたちありさまのすぐれたらむこそ、あらまほしかるべけれ。物うちいひたる、聞きにくからず。愛敬(あいぎゃう)ありて、ことば多からぬこそ、あかずむかはまほしけれ。めでたしと見る人の、心おとりせらるる本性(ほんじゃう)見えむこそ口をしかるめけれ。

(しな)かたちこそ生まれつきたらめ、心はなどか(かしこ)きより賢きにも(うつ)さば移らざらむ。かたち心ざまよき人も、(ざえ)なくなりぬれば、品くだり、顔にくさげなる人にも立ちまじりて、かけずけおさるるこそ、ほいなきわざなれ。

ありがたきことは、まことしき(ふみ)の道、作文(さくもん)和歌(わか)管弦(くわげん)の道、また有職(いうしょく)公事(くじ)(かた)、人の(かがみ)ならむこそいみじかるべけれ。手などつたなからず走り書き、声をかしくて拍子(はうし)とり、いたましうするものから、下戸(げこ)ならぬこそ、をのこはよけれ。

 

                    第七段

あだし野の(つゆ)きゆる時なく、鳥部山(とりべやま)(けぶり)立ちさらでのみ住みはつるならひならば、いかに物のあはれもなからむ。世は、(さだ)めなきこそいみじけれ。

(いのち)あるものを見るに、人ばかり(ひさ)しきはなし。かげろふのゆふべをまち、夏の(せみ)春秋(はるあき)を知らぬもあるぞかし。つくづくと一年(ひととせ)をくらす(ほど)だにも、こよなうのどけしや。あかず()しと思はば、千年(ちとせ)()ぐすとも、一夜(ひとよ)(ゆめ)の心ちこそせめ。すみはてぬ世に、みにくきすがたを待ちえて何かはせむ。命長ければ(はぢ)多し。長くとも、四十(よそじ)に足らぬ程にて死なむこそめやすかるべけれ。

その程過ぎぬれば、かたちをはづる心もなく、人に出でまじらはむことを思ひ、(ゆふべ)()に子孫を愛してさかゆく末を見むまでの命をあらまし、ひたすら世をむさぼる心のみ深く、もののあはれもしらずなりゆくなむあさましき。

 

第八段

世の人の心まどはすこと、色欲(しきよく)にはしかず。人の心はおろかなるものかな。

にほひなどはかりのものなるに、しばらく衣装(いしゃう)薫物(たきもの)すと知りながら、えならぬにほひには、必ず心ときめきするものなり。久米(くめ)仙人(せんにん)の、物洗ふ女の(はぎ)の白きをみて(つう)(うしな)ひけむは、(まこと)に手足はだへなどのきよらかに()えあぶらづきたらむは、(ほか)の色ならねば、さもあらむかし。

 

                    第九段

女は(かみ)のめでたらむこそ、人の目たつべかめれ。ひとのほど、心ばへなどは、ものいひたるけはいにこそ、物越(ものご)しにも知らるれ。

ことにふれて、うちあるさまにも人の心をまどはし、すべて女の、うちとけたるいも寝ず、身ををしとも思ひたらず、たふべくもあらぬわざにもよくたへしのぶは、ただ色を思ふがゆゑなり。

まことに愛著(あいぢゃく)の道、その根深く(みなもと)遠し。六塵(ろくぢん)楽欲(げうよく)多しといへども、皆厭離(えんり)しつべし。その中に、ただかのまどひの一つやめ難きのみぞ、老いたるも若きも、()あるも(おろ)かなるも、かはる所なしと見ゆる。

されば、女の髪すぢをよれる(つな)には、大象もよくつながれ、女のはけるあしだにて作れる(ふえ)には、秋の鹿(しか)必ず()るとぞいひつたへ侍る。みづから(いまし)めて、おそるべくつつしむべきはこのまどひなり。

 

                    第十段

家居(いへゐ)の、つきづきしくあらまほしきこそ、かりの宿(やど)りとは思へど、(きょう)あるものなれ。

よき人の、のどやかに住みなしたる所は、さし入りたる月の色も、一きはしみじみと見ゆるぞかし。いまめかしくきららかならねど、()だち物ふりて、わざとならぬ庭の草も心あるさまに、簀子(すのこ)透垣(すいがい)のたよりをかしく、うちある調度(てうど)も昔覚えてやすらかなるこそ、心にくしと見ゆれ。

多くのたくみの心をつくしてみがきたて、(から)の、大和(やまと)の、めづらしくえならぬ調度(てうど)どもならべおき、前栽(せんざい)の草木まで心のままならず作りなせるは、見る眼も苦しく、いとわびし。さてもやは、ながらへ住むべき。また時のまの(けぶり)ともなりなむとぞ、うち見るより思はるる。大方は家居にこそ、ことざまはおしはからるれ。

後徳大寺大臣(ごとくだいじのおとど)の、寝殿(しんでん)(とび)いさせじとて、(なわ)をはられたりけるを、西行(さいぎょう)が見て、「(とび)のゐたらむは、何かは苦しかるべき。この殿の()心、さばかりにこそ」とて、そののちは参らざりけると聞き侍るに、綾小路宮(あやのこうぢのみや)のおはします小坂(こさか)どのの(むね)に、いつぞや縄をひかれたりしかば、かのためし思ひいでられ侍りしに、「(まこと)や、(からす)のむれゐて池のかへるをとりければ、御覧じ悲しませ給ひてなむ」と、人の語りしこそ、さてはいみじくこそと覚えしか。徳大寺にもいかなるゆゑか侍りけむ。