「読解」Reading Comprehension
学生
時代に
付き合ったり、
知り合いに
なった中国人、
韓国人、ベトナム人、タイ
人などアジアの
女性は、
個性的で、
本当に男
の
扱い方を知っているなと
感心さ
せられる女性ばかりであった。
最大の
魅力は、
彼女達の
変わり身で
あろうか。これは、日本人の女子学生によくする話であるが、
自分の
観察と
偏見で
は(
しかられそうなのではっ
きり
断ってお
くが)、日本人女性は、
着るものも、
装身具も、
化粧の
仕方も
みんな
同じようで、個性的でな
いことと、いつも同じで
変化に
乏しいこ
とが
問題である。いくら
美人で
も、毎日毎日同じのを見ていたら、
飽きが来るのは
当然で
ある。この
点、 アジアの女性には
常に新鮮さを
保とうと
する
努力が見られる。 また
香港の
彼女の話 に
戻るが、
実は、
私は、
初めから彼女に
興味を
持っていた
訳ではなく、
別の
中国人の女性に
ひかれていたので
ある。グループで
色々活動を
していて知り合いになった女性であるが、よくあるケースで、
周りか
ら、「何とかさんは
君のことが好きだ
ぞ」などと
おだてられて、 こちらも
その気に
なったのであるが、彼女の
場合も
非常に大人で、 こちらが、
意を決して告白す
ると、「私も太田さんが好きだけれど、もうすぐ
卒業して香港に
帰ってし
まうので 時間がない」というようにこちらの
気持ちを
傷つけな
いように
断られた。それは
嘘で
はなかったが、後で分かったことは、彼女にはアメリカ人のボーイフレンドだかフィアンセがいたらしい。ここで
軽い失恋。
それから、しばらく
経って、 ある日
ふと気
が付くと、もう一人の中国人女子学生が、いつも私の
側に
いたのである。グループで出かけたりしている
仲間に
入っていたのだが、それまでは、全く興味もなく
見向きも
していなかった女性である。付き合うようになって、後で彼女から「ひどい人だった」と
なじられた
ことがあるが、帰りが
遅くなった時など
は、私の男の友人に彼女を
寮ま
で送ってもらったりしたほど、
全く関心が
なかったのだが、こちらの
心の
隙間に
すっと入っ
てきた。彼女が
好意を
持っていてくれることは分かったが、なかなか
意思表示が
出来ないでいると、私の
誕生日にメール・
ボックスに彼女からの
手作りの
カードとプレゼントが入っていた。カードには
切りぬいた四つ葉のクロー
バー、これが
愛情の
シンボルであることは後で知ったが、私の
歳の
数だ
け
貼られてあり、
書かれ
ている
言葉は、「太田
さんに会えて自分は本当に
幸せで
す。」私は、これで
有頂天、
早速初
めてのデートに彼女を
誘った。
当時、
イギリスの
劇団が日本で、
チャールズ・ディケンズの「オリバー・トゥイスト」を
上演し
ていたので、それに誘うと非常に
喜んでくれた。
場所は
確か銀座の
飯野ホールだっ
たと思うが、私も少しいい
格好をして彼女の寮に
迎えに
行った。出てきた彼女を見て、びっくり。それまでは、
化粧っ気の全くない、
飾らない女性で
あったのが、
薄化粧を
して、イヤリングをつけ、自分で作った長いスリットのある
中国風の
ドレスを着て出てきたのである。すごい
変身で、 まったく
見違えてしまっ
た。飯野ホールに着いて、ドアを
開けて中 に入ると、その
辺にいた
男性諸君が
一斉に彼
女の方を見たほどエキゾティックで
素敵で あった。こちらも
鼻高々。
ざまを見ろで
ある。ところが、
翌日の
月曜日に会うと、またお化粧っ気の全くない
普通の 女の子に
早変わりなのであ
る。この
落差は、それ
以後も何とも言えず
魅力的で
あった。もう一つ感心させられたことは、いつも
緊張感を
保つ努力をしていることであろうか。初めに会った時から私のことが好きだった、いつか自分の方を向いてくれるだろうと思っていたと言
われて、彼女の
一途な気持ちがう
れしかった。ところが、付き合ってからしばらくたって、こちらが
彼女はもう自分のものだと思っていると、ある日デートの時に、先週の週末は、だれだれさんと映画を見に行ったなどと言うのである。も
ちろんこのだれだれさんは男性である。こちらもびっくりして、
嫉妬を
感じたり、
心配させられた
りしたが、彼女の
態度に
は全く変化がないので、大分後になって、何であんなことを言ったのか聞くと、「太田さんに安く思われたくなかったから」という
答えが
返ってき
た。向こうから好きになった
弱みがありながら、
自尊心を
保とうとしたらしい。長く付き合っていると、何でも
当たり前に
なりがちであるが、そこに新鮮な
風を
吹き込んでく れるような
行為が、
さりげなくで
きるというのは、すごい。では、いつもこのようにクールかというと、そうではなく、こちらに本当に心配させない
心遣いも、
真摯で、
情熱的な態度で
示してくれる。 これで、
馴れ合いの
関係でない、
付かず離れずの
緊張関係が
持続で
きたように思う。ここでも、また一本取られたと思った。彼女は、夏休みに香港に帰る時に
船を
選んだのだが、
横浜に
送って行く
途中、電車の中
で、「もう
一生会
えないかもしれない」と言って
ぼろぼろ泣くのである。周りにいた
日本人はどう思ったか分からないが、こんなに
感情を
素直に出せるのは、
うらやましいと
思ったほどである。私たちは、大学
始まって以来初めての中
国人女子学生と日本人男子学生のカップルということで、私たち二人は、中国人の
教授から、
呼び出されて、
真面目に
付き合っているのかなどと
詰問されたので、
元々鼻っ柱の強い私は、
頭に来て、
「先生には関係ないことでしょう」と答えたが、これは四十年前の話である。当時は、中国側では、まだ、
第二次大戦の
記憶も
薄れておらず、彼女から
真顔で、「もし日
本と中国がまた
戦争を
したら、あなたはどうする」と聞かれてびっくりしたが、香港に帰って、
父親から、
戦争中におばさんが二人
日本軍に
殺され
た話を聞き、「もしこの若い日本人と
結婚するなら、
勘当する」と言わ
れたとのこと。日本に
戻って来
て、十日ほどいっしょに
過ごしたが、
結局、
彼女は私との結婚をあきらめたらしく、カリフォルニア大学に
転校し
て行ってしまった。こちらは初めて結婚しようと思った
相手なので、彼女に
置いてきぼりにされ
て、大失恋の
痛手を
受けた。
それでも、彼女との
恋愛経験を
通じて、
異文化間コ ミュニケーションに
おける交際に関してず
いぶん勉強になった。
皆さんにも、大いに
恋をして、異文化を
超えた交際をしてもらいたいものだと思っている。